残業規制がもたらす将来

目次

 働き方改革による残業時間の上限規制

2019年4月から働き方改革が施行され、残業の上限が変更されました。それに伴い、私の会社でも残業規制が厳しくなってきたので、このまま進むとどうなるか考えてみました。

 残業が厳しくなって受けた実感

まず、私自身は残業はしなくてもよいならばしないほうがよいとは思っています。(実際に最近は全然残業をしていない。)そのため、無駄な残業というのは減らすのはもっともでありこれからも無駄な残業は減らす方向でよいとは思っています。
ただ、働いていて感じるのはもっと働きたい、もっとこの業務を進めたいという時(働く意欲が高い状態)に残業を規制されて定時に帰るように促されるのがどうしても働く意欲を奪っている状態になっているとは感じます。

働き方改革からよく耳にするように効率化・生産性を上げるようにしようと言われるが、決まったような仕事を効率化していくようにするのは分かるが、不定期な業務や創造的に0から何かを生み出すような仕事に効率化というのは当てはまらないのではないかとは思えます。

当てはまらないのに企業では事務作業をする業務と一緒くたにして、効率化という一辺倒な状態になってきているように感じる。このような状態からは、仕事の意欲を奪っていき給料に見合った仕事しかしなくなっていくのではないでしょうか。また新しいものを試してから何かを生み出すという行為が減り、残業規制ばかりを進める企業は効率が上がったとしても革命的な価値を提供できる企業は減っていき、競争力がなくなり衰退していくという道を辿るのではないかと私は危機感を感じています。

 別の視点から

また別の視点ではありますが、立ち読みレベルで「天才を殺す凡人」という本を読みました。そこで職場での人間が3タイプに分かれており、天才=創造性、秀才=再現性(論理性)、凡人=共感性 それぞれが違う価値観のため相いれない状態となっているという観点からの考えが書かれている本だったと思います。

その中で思うのは最近は秀才の再現性を重視している人が増えすぎていて、天才のような創造的なものを生み出すことが育たない環境になってきているとも思えます。これは、残業規制の話にもつながってくると思うのですが、企業自体に余裕がなく遊びがないため、創造的なものが生まれない。大企業の製品やテレビを見ていて思うのはもう効率化ばかりでやっていることは昔に作った製品・番組の改良化が多く目新しいものが見当たりません。(目新しいものはベンチャー企業発祥の製品くらい)
その状態はある意味成熟期に入っているという状態かもしれないが、創造的ものが生まれなければある昔の価値観で生まれた製品を改良して顧客を奪い合うだけになり、衰退していくのかもしれないなと私は感じます。